【救いを求める女たち】
- 2013-04-10 (水)
- 【救いを求める女たち】
『救いを求める女たち』(希:Ικέτιδες,Hiketides)はアイスキュロスによるギリシア悲劇。神話にあるダナオスとその五十人の娘の伝説を扱った作品です。
続く二作、『エジプト人』『ダナオスの娘たち』からなる三部作を構成していました。正確な上演年は不明ですが、この作品と同時上演された『ダナオスの娘たち』によってソポクレスを破ったとの記録があるので、古くともソポクレスが登場した紀元前468年以後の作品であると推測されています。
作中に占める合唱隊の役割が他の作品に比べて大きく、アリストテレスによって悲劇の起源とされるディテュランボスの影響を未だ濃く残している作品だと言えます。このため、かつては上記の年代よりもさらに古くに書かれたものだと考えられていました。
【コロス】
- 2013-04-10 (水)
- 【コロス】
コロス(choros, 古代ギリシャ語:χορός)は、古代ギリシア劇の合唱隊のこと。ギリシア悲劇の中のディテュランボスおよびtragikon dramaから発生したと言われています。
コロスは観客に対して、観賞の助けとなる劇の背景や要約を伝え、劇のテーマについて注釈し、観客がどう劇に反応するのが理想的かを教えます。
また、劇によっては一般大衆の代わりをすることもあります。多くの古代ギリシア劇の中で、コロスは主要登場人物が劇中語れなかったこと(たとえば恐怖、秘密とか)を登場人物に代わって代弁します。コロスは通常、歌の形式を採るが、時にはユニゾンで詩を朗読する場合もあります。
コロスは、悲劇・喜劇が抒情詩作品だった時期の古代ギリシア劇で、重要かつ主要な構成要素でした。とくに、アイスキュロスが複数の俳優を使いだす以前は、たった一人しかいなかった俳優に対する重要な相手役でした。
その重要性が減少していったのは紀元前5世紀以降で、コロスは劇の動きから切り離されはじめます。後の時代の劇作家、たとえばソポクレスなどは、以前の作家ほどコロスに依存しなくなりました。
ソポクレスのテーバイ三部作の中で、コロスは全知の解説者の役割を果たし、しばしば物語の教訓性を補強しました。
コロスは「解説者」と「登場人物」の中間に位置するようになり、登場人物である時は、他の登場人物たちに彼らが必要とする洞察を与えていました。
コロスには、1〜3人の俳優で演じられる劇を説明して助ける役割がありました。古代ギリシアの円形劇場はとても大きかったので、遠くの観客にもわかるよう動きは誇張され、また発声もはっきり聞き取れるようにしました。技術的には、シンクロニゼーション(同期性)、エコー、波紋、身体表現を駆使し、仮面をつけていました。
【アイスキュロス】
- 2013-04-10 (水)
- 【アイスキュロス】
アイスキュロス(Αισχύλος, Aischylos, 紀元前525年 – 紀元前456年)は、古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりであり、アッティカ悲劇の確立者。代表作はオレスティア三部作。
アテナイ郊外のエレウシスで、貴族階級に属する地主エウリポリオーンの子として生まれました。エレウシスはデメテルの秘儀で有名で、後にアイスキュロスがこの秘密を漏らしたとして誅殺されかけたという伝承があります。
その生涯について伝えられていることはあまり多くないが、マラトンの戦い、サラミスの海戦に従軍したことはよく知られています。マラトンの戦いについては、彼がこの戦いに参加したことを生涯の誇りにしていたことが、墓碑銘からもわかりあす。兄のキュネゲイロスはこの戦いで没しました。
「これはアテナーイ人、エウポリオーンが子アイスキュロスの墓、豊かなる実り多きゲラの地に朽ちぬ。この人のいさおしの証は誉れ高きマラトーンの聖なる地、またこれをためした長い髪のメーディア人」
サラミスの海戦については、自作『ペルシア人』にて見事に描かれています。この作品は紀元前472年のディオニュシア祭において初演されましたが、紀元前470年頃にアイスキュロスが訪れたシラクサのヒエロン1世の宮殿でも再演されています。
それからアテナイに戻り、『テーバイ攻めの七将』『オレステイア』などを上演したのち、再びシチリア島へ渡って同島のゲラで没しました。カメを岩へ落として食べるヒゲワシに、頭を岩と間違えられカメを落とされたという伝説的な死因が伝わっています。
【ソポクレス】
- 2013-04-10 (水)
- 【ソポクレス】
ソポクレス(ソポクレース、ソフォクレスとも表記、Σοφοκλής, Sophoklés、紀元前496年頃 – 紀元前406年頃)は、アテナイの悲劇作家、古代ギリシア三大悲劇詩人の一人に数えらています。
紀元前468年以来、大ディオニュシア祭で24回もの優勝を重ねました。劇の作法について数編の論文を著すなど理論面を重視し、ギリシア悲劇というジャンルを完成させました。悲劇作家として成功し、富裕な市民層に属していました。
【エウリピデス】
- 2013-04-10 (水)
- 【エウリピデス】
エウリピデス(Ευριπίδης, Euripides、紀元前480年頃 – 紀元前406年頃)は、古代アテナイの三大悲劇詩人の1人。現代にも大きな影響を及ぼしています。代表作は『メデイア』、『アンドロマケ』など。
アッティカのプリュア区(デーモス)に裕福な父親ムネサルコスと母親クレイトの間に生まれました。この両親に関してはアリストファネスを始めとする喜劇作家たちによって貧しい商人だとか野菜売りだとか言われていますが、ビザンツ時代には既に研究者によって否定されています。
エウリピデスが当時としては稀な蔵書家であり、哲学者アナクサゴラスによる高度な教育を受けていることも、中傷を否定する根拠の一つになっています。
紀元前455年に『ぺリアスの娘たち』などからなる四部作でディオニュシア祭に最初の出場を果たしましたが、それから初の優勝を得るまで14年もかかっています。50年間に及ぶ芸歴の中で92の作品を書き22回の上演をしたとスーダ辞典に伝えられていますが、優勝は生前に4回、死後に1回、合わせて5回だけでした。しかし、それをもってエウリピデスが同時代人からの評価を受けていなかったとは言えません。むしろ『蛙』に表れているように、賞等を決める保守的な層に嫌われたことが大きな原因であると言うべきでしょう。
紀元前408年に『オレステス』を上演した後、マケドニア王アルケラオス1世に招かれてその宮廷へ赴きました。紀元前406年のディオニュシア祭の直前、マケドニアからエウリピデスの訃報が届くと、彼の長年の好敵手であったソポクレスは上演前の挨拶で弔意を示しています。
性格は厳しく非社交的、哲学的な新思想の持ち主で「舞台の哲人」と呼ばれ、当時の市民としては珍しく公職に就かず軍務にも服したことがありませんでした。
結婚生活にも問題がありました。二人の妻を持ったが、二人ともが不貞を働き、古代においてはそれによって女嫌いになったと言われました。
【三大悲劇詩人】
- 2013-04-10 (水)
- 【三大悲劇詩人】
最も有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られているアテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスです。プラトンも最初は悲劇詩人を目指していました。古代ギリシア喜劇のアリストパネスは、その作品「蛙」の中で三大詩人の批評をやって見せています。
【ギリシア悲劇】
- 2013-04-10 (水)
- 【ギリシア悲劇】
ギリシア悲劇(ギリシアひげき)は、古代ギリシアで、アテナイのディオニュシア祭で上演されていた悲劇またそれに範を取った劇のことです。ヨーロッパにおいては古典古代およびルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされています。
アテナイにおける悲劇の上演は競作の形を取り、競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇と一つのサテュロス劇をひとまとめにして上演する必要がありました。
現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスのオレステイア三部作のみです。 いずれにしても、題材はギリシア神話やそれに類するものから取られます。聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、優勝者を決めていました。
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